障害者が障害児を育てると言うこと

障害児と認められるにはギリギリラインの軽度知的の息子と約3年前に中途障害を負ったママです。他に健常の子が3人いて親子5人で生活してます。そんな中で思ったこととかを書いていきます。

線維筋痛症と化学物質過敏症と言う名前を聞いたこと有りますか?

通称、線筋(線維筋痛症

通称、CS(化学物質過敏症

生きていたい、でも死んだ方がマシ

それが、この病

私は、この病にかかっていて尚且つパニック発作も持っている。

線筋は私は単独発症と言う珍しい種で

そのせいか線筋に効く治療法は温泉療法を除いて効果がなく

唯一の温泉療法もCSの状態によっては受けれない時もある

痛み止めを打つことで幾らか痛みが軽減され何とか日常が送れると
言われる病で痛み止めを打てず痛みに、ひたすら耐えないといけないことは何よりも精神を病む

それでも子供達がいるから、それだけが希望で
なにくそ根性で踏ん張ってるけど
見た目は五体満足と言うだけで周りの理解は、ほぼ皆無

痛みなんて味わわなければ分からない
どれだけ苦悶に満ちてても痛くて意識失っても
医者でさえ詐病扱いする

これが演技なら私、役者になれるわーって、いつも思う

もうね、この世に存在する痛みの全てを味わったんじゃないかってぐらい、ありとあらゆる痛みを感じる

CSも痛みを生む要因の一つだから。

こんなね痛みに苛まれて痛みなんて、この世から無くなれ!
って思ってる人間が他の人間に、ましてや最愛の子供達に
痛みを味わわすなんて、もはや人間じゃないよねって話し

けど、そんなこと分からないから虐待できると思うんだよね

理解できないなら理解できないで、そっとしておく
このことが、どれだけの救いになるだろう
理解できないから、差別する、拒絶する
これって一番してはいけないこと

別に危害を加えようとか思ってない
理解者になってもらえたら、そう思ってるだけで
強制する気もないのに、どうして誤解されるのか

この人間のいざこざが余計に精神的にやられる

心が疲弊していくの

毎日を過ごすことで精一杯
明日のことなんて考えれない、考えたくても

普通なら痛みって通り過ぎるもの
でも通り過ぎない
それが蓄積されて、また襲って来る

予測すらも出来ない
今日は痛みが少ないな、と思ってたら
いきなり襲って来る

そのことで何度、大怪我したかも分からない

階段を下りてる途中とか、子供と散歩中とか
最中でも襲って来るから

でも笑えるくらい線筋の痛みが凌駕してて、そんなに痛みを
感じないの

凄い人は骨が折れてても気付かなかったって

私は料理の最中に指をザックリ切っても、まな板が血で染まるまで気付かなかったから骨折しても同じなんだろうなと

私は発症して約3年
痛みがあることに慣れてしまえば意外に何とかなるし
痛みを生む要因は、ある程度の予測が付けれるようになったし
行動にも注意して大怪我する物も片付けれるものや避けれる物は
避けるようになった

それでも痛み以外の様々な弊害は避けることが出来ない

どちらも進行性の病でもある上に色んな病を生み出していく

私は最初は線筋とパニック発作のみだったのが
線筋の薬、リリカの副作用でCSになった

線筋は痛みで行動が制限されるので筋力の衰えや
痛みが出る部分をかばうことで部位の変形も出て来る
そして何より力を使うことも痛みを生む要因なので
症状が進めば歯ブラシさえ持てなくなる

今、私の食事はフォークとスプー
これさえ持てなくて子供達に食べさせてもらう時もある

そして何よりは女性にとって必ず訪れる月のもの
後は風邪
痛みが増幅されるので月のものの時と風邪の時は酷いと痛みで吐きまくっている
うん、これも、この世から無くなってほしいものかな

服を着ること、布団を着ること、も痛みを生む要因になる

入浴時のピリピリも時として激痛
冬の水仕事は避けなければいけないもの
一度、気を失ってから避けるようになった

点滴や採血も敵、下手すれば気を失うので病院には先に言って対策しといてもらう

CSは発症してから太陽の光や電気の光が駄目でドラキュラみたいな生活してた
子供達が外から持ち帰る臭いや近隣の臭いで悶絶していて
止むを得ず引っ越しを決意
とは言えCSの患者が住めるとこは簡単には見つからない
自分の足で歩いて住めるか確認しないといけない
例え田舎でも山の臭いや畑などの農耕地は薬品を撒くから駄目
車が通らないとこ、通っても臭いが来ないとこ
様々な制約があって見つからない人は山奥にテント暮らしを
してる人もいるほど

私は運良く半年で見つかったけれど
限界集落に近い集落では私達親子は異端者で
ただでさえ世間の風当たりは冷たいのに
ここは、もう差別の域

でもね、お日様の下で洗濯物を干せる喜び
四季折々の香り、元気だった頃には気が付かなかった
一つ一つを感じることが出来る幸福は何にも代え難い物がある

床に伏せって天井を眺めてるだけの日々は辛かったからね

引っ越して来て子供達と庭で遊べるのが嬉しくて
遊んでいたら石段から落ちて大怪我をしたのも
今となってはいい思いで(笑)

出来ないことが増えて行く中で子供達を手放して
自分も楽になりたいと思ったことは一度や二度じゃありません。

今でも時折過ぎります。

それでも手放さず生きてるのは自分の中に生への強烈な執着があるから。
死んでしまうことは簡単だけど
死んでしまって何も残せないくらいなら

足掻いて、足掻いて、足掻きまくって
何かを残して死にたいと思うの

障害を負ったから何もかも諦めないといけないことは間違いだってことも
障害を負ったから何もかも諦める必要がないことも
(自分で言うのもなんだけど)究極の底辺にいる自分だからこそ
証明できると思ってる

うちは身よりもない、文字通り天涯孤独
引っ越したことでヘルパーの支援時間は10分の1に減らされて
子供達と2人3脚で毎日をやり過ごしてる

障害者だから、何しても付きまとう語弊を払拭すべく
躍起になってる

それで倒れることも増えたけど別に後悔してない

子供達に気負いはさせたくないし

そりゃ完璧には行かないけど。

今、願うのは病が治るとか云々じゃなくて
少しでも、この世の中が少しでも誰でもが生きやすくなったらいいなってこと

田舎に行けば行くほど、それは謙虚で
公職者であっても平気で人を差別し傷付ける

子供達の学校の校長に「(見た目、五体満足なんだから)働けよ」と言われたことは本当にビックリしたし
保育園に至っても障害者で家にいるなら自分で見ろと入所を認められなかったことは、もう差別だと思ったほど。

生きたいと足掻くことも
誰かに自分が背負った荷物を軽くしてもらうことも
決して甘えじゃないと思う

本当に、障害者になりたくてなった人はいないのだから
それを責めるのは違うと思うの

生きていても、いいんだよ
大丈夫?そう言って優しく手を差し伸べられるような
そんな社会になってほしいと思っている