障害者が障害児を育てると言うこと

障害児と認められるにはギリギリラインの軽度知的の息子と約3年前に中途障害を負ったママです。他に健常の子が3人いて親子5人で生活してます。そんな中で思ったこととかを書いていきます。

突然だけど、人権救済を訴えようと思う。

聞き入れてもらえるかは分かりませんが。

ブログをお休みしてる間に様々なことがありました。

先ずは僻地に住んでいたので派遣されていた医師の派遣期間が終わってしまったので引っ越しを余儀なくされたこと

ハンデのある息子の精神状態からして新天地への引っ越しは出来ないこと

から以前に住んでいた京都に出戻ることになり今年の1月に転居しました。

思えば、そこから酷い迫害が始まりました。

以前、住んでいたし京都とは言え田舎なので役場であっても顔見知り立ったので気安い関係だったんです。
私が病気になって進行していく過程も見ているし知っています。
その上で出来ること、を自ら走り回ってくれていたような方々だったのですが戻って来たら、そうじゃなくなっていたんです。

他県に行ってからの約2年近くの間に何があったかは分かりません。

人事が変わると言っても役場の中で再編成があるぐらいの所です。

なので戻って来たら拒絶される理由も分からず戸惑いながらも私達親子が生きていくために交渉に交渉を重ねて来ましたが役場は一貫して私達親子を離すこと、つまり子供達を施設に入れること、が大前提で私に子供達を手放すことを再三、迫って来ています。

実は、あれから下の子、次男に長男より重い障害があることが分かりました。
ADHD発達障害などが複雑に絡み合った複合的な障害です。
病気が一つではないので断定した病名もなく人に説明する時は周知されている病名を伝えます。

役場が、ここまで言って来る要因の一つは、そこなのだとも感じてはいます。

障害を持った親に障害児が2人
まぁ先ず無理ですよね、私でもそうは思います。
なので役場の思いを分からなくはないけれど、でも「子供達を取り上げるのは最終手段」でしょ?と言いたいのです。

確かに次男のハンデが分かった時は私も無理だ!と思いました。
でも、それと同時に「たったそれだけのことで今まで培って来たものを捨ててしまうのか」とも思ったんですね。

腹を決めてからの私は次男に対しての受け入れもストンと決まり、それからは1人で協力者を求めて奔走して来ました。
その時も役場には幾度となく相談をして来ましたが役場は取り合ってくれず、動いてくれたのは民間団体と病院でした。

なので私の言い分としては大変だった時期、言わば一歩間違えば心中しかねない時期に相談していたにも関わらず取り合わなくて第三者である民間団体などから現状を漏れ聞いて慌てだしたところで今更、なのですよ。
しかも、やろうとしてることが子供達を取り上げること、笑えます。

今は本当に大変だった時期が嘘のように穏やかな安定した日々を送っています。
ハンデの子供達には福祉ケアが付き私も1人になれる時間を頂けるようになり自身の治療にも専念出来ています。

健常の子供達も民間団体に通えるようになったので子供達にも息抜きの時間が出来るようになりました。

親が障害があっても子供に障害があっても本当に福祉ケアやサポートがあれば社会で生きていけるのです。
それを一部分だけ切り取って「無理だ」と決めつけ排除するのは差別でしかないと思っています。

なので徹底的に戦おうと思い立ったのです。

私達親子は、ただ共に生きていきたいだけです。
親子で見る景色、感じる思い等々は親子だからこそ得られる物で誰かが欠けていては得られないものです。

私はサバイバー(虐待の生き残り)として、そのことを身を持って分かっています。
大人になってから取り戻そうとしても取り戻すことの出来ない感情を、思いを、私は自分の子供達にまで味わわせたくはありません。

だから自分が、こんな病になっても子供達にハンデが見付かっても諦めないで生きて来れたのです。

その思いを汲み取ってほしい。

そして少しでも悲しい思いをする親子が減らせるように。
そう思っています。

線維筋痛症

維筋痛症にも様々あって

鬱、癌、リウマチなどによって発症するものと

線維筋痛症、単独で発症するものとある

なので線維筋痛症は治る病気!と言われているのは
この付随してる病が治れば治るよ、と意味であって
治療法も何もない単独発症は不治の病に代わりはない
のだけど、この辺の認知がなされてない。

私からしたら貧血などの病気みたいに種類分けしてくれたらと
思っている。

結局、一括りにしていることが難病認定が進まない要因の一つでもある。

治る線筋まで数えてたら線維筋痛症は本当に膨大な患者数

中には結婚して出産できる人もいれば
生命維持装置で生きてる人もいる

この実態把握は早急にするべき

同じ病なのに患者同士でのトラブルも多い
これは線筋に限らないかもしれないけれど
症状が違って様々なのに「あなたは私より症状が軽いから線筋とは言えないね」なんてことも言われる

昨今では線維筋痛症予備軍なんてものを医者が言い出して来て
ネットでは、そう言った人達が誤った情報を流してるし
当事者からしたら本当にいい迷惑

私は線筋ではステージ4
(痛みのため自力で体を動かせず、ほとんど寝たきりの状態に陥る。自分の体量による痛みで、長時間同じ姿勢で寝たり座ったりできない。)
の位置にいるけれど、これにも誤解があって
私みたいに歩けたりする者もいる
とは言え杖は必要だし杖を持てない時や使えない時は車椅子

線筋は状態が一定していない上に天候などにも左右され易いから必ずしも寝たきりになるとは限らない。

と言うか私の場合は寝てることが辛くなって来ていて
今の睡眠時間は、まとめては1時間程度

痛みで起きて後は、うつらうつらしてる。

一時、鬱故になるのだと言われてたこともあるけれど
治療法も治療薬もなく、ひたすらセルフコントロール
痛みを何とか、やり過ごしているのだから鬱にもなるでしょうと
思ったことがある

ましてや寝れない、座れない、食べることも辛いのだから。

今の私の楽しみって?と真剣に考えてたこともある

単独発症と言う種は珍しいので難しいかもしれないけれど
もっと患者が声をあげてくれたらなと思う
ブログを書くことも難しいことは分かってる
私も何度も間違えて、消えてしまったり書くのに何時間も要してます。

でも単独発症もあり得るのだということ

そうなると期間限定ではあるけど身障者手帳の取得も出来ると言うこと

は言わないと困っている人はいると思う。

線筋の単独発症種は、あらゆる検査をして他に病気が一切、認められないことが条件の一つです。
その上で生活に支障があるか否か
家族など世話できる人がいるか否かも医者の意見書に関わって来ます。

私は子育て中であったこと、身よりのないことなど症状が
進行してたことで医者が意見書を書いてくれました。

それでも線筋は治るとされてることで期間限定の手帳です。

これは面倒で、また痛い思いや辛い思いをしなければいけませんが更新出来ます。

私は年末に初めての更新を向かえます。

今、私は1級なので、それより下がらないことを祈ってますが
下がりようがないよとも医者には言われてます。

線筋かもと言われた方は頑張って、ありとあらゆる検査を受けて見て下さい。

付随してるものがあっても身障者手帳取得対象の病であれば、そちらの方で取ることも出来ます。

今は鬱でも精神で取れます。

障害者年金に付いては今も私は協議中なので結果が出るまで線筋で出るかは分かりません。

ただ手帳取得できても見た目が五体満足なので世間の目は
変わりません

ヘルプマーク持っていても周知されてないのもあるし
杖持っていても健常者と同じ扱いです。

車椅子優先とあるので障害者も当てはまりますよね?
と聞けば車椅子優先は、あくまでも車椅子優先ですと言われます。

これは線筋で立ってることが辛く持参した椅子を置きたくて
そのスペースを少し借りれませんか?と聞いた時に言われました。

生き辛さは手帳があってもなくても大差ないと経験から思ってます。

優しくされたいとか、障害者らしく扱ってほしい、と言う意味ではなくて少しの配慮がないのです。

合理的配慮を、と言われてるにも関わらず

目の見えない方の為に点字ブロックがあり、その点字ブロック
物を置かないで下さいと言われてるにも関わらず置いてしまう人がいる、例えるならそんな状態です。

私は生活してく中で避けられない人達には線筋の資料を読んでもらっています。
それでもストンと分かってくれる人は殆どいません。
中には我慢しなさい、と言われることもあります。

ガッカリして、痛みではなく避けられない人付き合いに我慢して
私が飲み込みます。

こんなことも出来ないの?五体満足なのに?
これが一番、傷つきます。

私が書くブログは長く、また意味も取りにくいかもしれません。

痛みで霧散してる頭で書いてるので(__;)

それでも周知されていない病で苦しんでる人間が
それでも精一杯、生きてる人間が

ここにいるのだと分かって下さい。

毎日書くことは難しいので途切れ途切れですが
私がどんな生活を送っているかも書いて行く予定です。

改めて宜しくお願いします。

生きるって難しい

引っ越して来たら五体満足、と言うだけで支援時間を10分の1の月7Hに減らされ

前市の引き継ぎ書も医者の意見書も全て却下され

支援者との度重なる交渉で、やっと4月から週2回2Hに増やしてもらえるようになった。

それでも到底、足りない。

前市で月70Hの支援時間に無償と有償のボランティアを使うことで成り立っていた生活

ボランティアは山奥の集落で交通機関も稀なバスしかないとこだから期待してなかったけれど、まさか五体満足と言うだけで支援時間を大幅に削減されるなんて予想だにしてなかったから我が家にとっては大打撃

暗に死ねと言われてるようなもの

お陰で引っ越して来てから、この1年足らずで最近、寝込んだのも含めると8回ほど寝込んでる。

それでもバスで20分行かないとスーパーもコンビニもないから
子供の食事は作らないといけない

ヘルパーの緊急支援も勿論、受けられない。

正に今その8回目の寝込み中なのだけど
もうねフラフラした頭の中に渦巻いてるのは理不尽さと
やり場のない憤り

家族がいて明らかに家族介護が出来るのに
何故か朝から晩まで年中無休でヘルパーが入ってる隣家

に比べて身よりもなく支援者もいないのに五体満足だからって
理由で支援削られた我が家

この違いは何なのか、本当に知りたい。

私には、この地域は自治体権限がなくて国基準の支援しか
ないんですよ
そんなに言うなら何処か引っ越されては?と言うのに

そりゃ町に住めたら住んでる、引っ越してない

化学物質過敏症が悪化して町中に住めなくなったから
やむなく引っ越したんだもの

病気の大変さはならないと分からないって言うけれど
私が目の前で過呼吸になったり見た目にも分かる症状が
度々、出てて医者も意見書を書いているのに
それでもはねつける、信じないのは、ただ単なる嫌がらせにしか
思えないの

私が寝込んだら年末の大掃除並の掃除に追われ
今日も朝から追われて子供達は飽きて我関せず遊びだして
私もやってられないとなりつつある今

家が汚いと汚いで障害者だから、って言われるし

支援者も長引く交渉に辟易し始めたのか
私に障害者が子育てしたいとか、普通の生活送りたい
って言うことは甘えなのよ、って言い出して来て
私に関わりたくないともハッキリ告げて来た。

酷いと音信不通の人もいた。

別に無理難題を言ってる訳でもないと思う。
健常者でも家事を1時間で、こなせるのか?
そう問いたい
ましてや障害者なら時間は更に掛かる。
それも自分の頭さえ洗えなくて子供達に手伝ってもらってるのに。

そもそも本当に無理なら諦めてる。

疲れた、付き合ってられない
そう言って逃げられる人達が本当に羨ましい。

線維筋痛症と化学物質過敏症と言う名前を聞いたこと有りますか?

通称、線筋(線維筋痛症

通称、CS(化学物質過敏症

生きていたい、でも死んだ方がマシ

それが、この病

私は、この病にかかっていて尚且つパニック発作も持っている。

線筋は私は単独発症と言う珍しい種で

そのせいか線筋に効く治療法は温泉療法を除いて効果がなく

唯一の温泉療法もCSの状態によっては受けれない時もある

痛み止めを打つことで幾らか痛みが軽減され何とか日常が送れると
言われる病で痛み止めを打てず痛みに、ひたすら耐えないといけないことは何よりも精神を病む

それでも子供達がいるから、それだけが希望で
なにくそ根性で踏ん張ってるけど
見た目は五体満足と言うだけで周りの理解は、ほぼ皆無

痛みなんて味わわなければ分からない
どれだけ苦悶に満ちてても痛くて意識失っても
医者でさえ詐病扱いする

これが演技なら私、役者になれるわーって、いつも思う

もうね、この世に存在する痛みの全てを味わったんじゃないかってぐらい、ありとあらゆる痛みを感じる

CSも痛みを生む要因の一つだから。

こんなね痛みに苛まれて痛みなんて、この世から無くなれ!
って思ってる人間が他の人間に、ましてや最愛の子供達に
痛みを味わわすなんて、もはや人間じゃないよねって話し

けど、そんなこと分からないから虐待できると思うんだよね

理解できないなら理解できないで、そっとしておく
このことが、どれだけの救いになるだろう
理解できないから、差別する、拒絶する
これって一番してはいけないこと

別に危害を加えようとか思ってない
理解者になってもらえたら、そう思ってるだけで
強制する気もないのに、どうして誤解されるのか

この人間のいざこざが余計に精神的にやられる

心が疲弊していくの

毎日を過ごすことで精一杯
明日のことなんて考えれない、考えたくても

普通なら痛みって通り過ぎるもの
でも通り過ぎない
それが蓄積されて、また襲って来る

予測すらも出来ない
今日は痛みが少ないな、と思ってたら
いきなり襲って来る

そのことで何度、大怪我したかも分からない

階段を下りてる途中とか、子供と散歩中とか
最中でも襲って来るから

でも笑えるくらい線筋の痛みが凌駕してて、そんなに痛みを
感じないの

凄い人は骨が折れてても気付かなかったって

私は料理の最中に指をザックリ切っても、まな板が血で染まるまで気付かなかったから骨折しても同じなんだろうなと

私は発症して約3年
痛みがあることに慣れてしまえば意外に何とかなるし
痛みを生む要因は、ある程度の予測が付けれるようになったし
行動にも注意して大怪我する物も片付けれるものや避けれる物は
避けるようになった

それでも痛み以外の様々な弊害は避けることが出来ない

どちらも進行性の病でもある上に色んな病を生み出していく

私は最初は線筋とパニック発作のみだったのが
線筋の薬、リリカの副作用でCSになった

線筋は痛みで行動が制限されるので筋力の衰えや
痛みが出る部分をかばうことで部位の変形も出て来る
そして何より力を使うことも痛みを生む要因なので
症状が進めば歯ブラシさえ持てなくなる

今、私の食事はフォークとスプー
これさえ持てなくて子供達に食べさせてもらう時もある

そして何よりは女性にとって必ず訪れる月のもの
後は風邪
痛みが増幅されるので月のものの時と風邪の時は酷いと痛みで吐きまくっている
うん、これも、この世から無くなってほしいものかな

服を着ること、布団を着ること、も痛みを生む要因になる

入浴時のピリピリも時として激痛
冬の水仕事は避けなければいけないもの
一度、気を失ってから避けるようになった

点滴や採血も敵、下手すれば気を失うので病院には先に言って対策しといてもらう

CSは発症してから太陽の光や電気の光が駄目でドラキュラみたいな生活してた
子供達が外から持ち帰る臭いや近隣の臭いで悶絶していて
止むを得ず引っ越しを決意
とは言えCSの患者が住めるとこは簡単には見つからない
自分の足で歩いて住めるか確認しないといけない
例え田舎でも山の臭いや畑などの農耕地は薬品を撒くから駄目
車が通らないとこ、通っても臭いが来ないとこ
様々な制約があって見つからない人は山奥にテント暮らしを
してる人もいるほど

私は運良く半年で見つかったけれど
限界集落に近い集落では私達親子は異端者で
ただでさえ世間の風当たりは冷たいのに
ここは、もう差別の域

でもね、お日様の下で洗濯物を干せる喜び
四季折々の香り、元気だった頃には気が付かなかった
一つ一つを感じることが出来る幸福は何にも代え難い物がある

床に伏せって天井を眺めてるだけの日々は辛かったからね

引っ越して来て子供達と庭で遊べるのが嬉しくて
遊んでいたら石段から落ちて大怪我をしたのも
今となってはいい思いで(笑)

出来ないことが増えて行く中で子供達を手放して
自分も楽になりたいと思ったことは一度や二度じゃありません。

今でも時折過ぎります。

それでも手放さず生きてるのは自分の中に生への強烈な執着があるから。
死んでしまうことは簡単だけど
死んでしまって何も残せないくらいなら

足掻いて、足掻いて、足掻きまくって
何かを残して死にたいと思うの

障害を負ったから何もかも諦めないといけないことは間違いだってことも
障害を負ったから何もかも諦める必要がないことも
(自分で言うのもなんだけど)究極の底辺にいる自分だからこそ
証明できると思ってる

うちは身よりもない、文字通り天涯孤独
引っ越したことでヘルパーの支援時間は10分の1に減らされて
子供達と2人3脚で毎日をやり過ごしてる

障害者だから、何しても付きまとう語弊を払拭すべく
躍起になってる

それで倒れることも増えたけど別に後悔してない

子供達に気負いはさせたくないし

そりゃ完璧には行かないけど。

今、願うのは病が治るとか云々じゃなくて
少しでも、この世の中が少しでも誰でもが生きやすくなったらいいなってこと

田舎に行けば行くほど、それは謙虚で
公職者であっても平気で人を差別し傷付ける

子供達の学校の校長に「(見た目、五体満足なんだから)働けよ」と言われたことは本当にビックリしたし
保育園に至っても障害者で家にいるなら自分で見ろと入所を認められなかったことは、もう差別だと思ったほど。

生きたいと足掻くことも
誰かに自分が背負った荷物を軽くしてもらうことも
決して甘えじゃないと思う

本当に、障害者になりたくてなった人はいないのだから
それを責めるのは違うと思うの

生きていても、いいんだよ
大丈夫?そう言って優しく手を差し伸べられるような
そんな社会になってほしいと思っている

私そんなに悪いことした?障害者って悪人?

なんかねー児童相談所に通報されました。

通報した人は私に暴言吐いて嫌がらせして来た

女性支援員の上司!

私が女性支援員が頻繁に家に来ては昼寝してる子供を起こして
生存確認して行ったり
障害者に子育ては出来ないから施設に入れない?って言って来たり
そのくせ私が目の前で倒れても助けようともしないし
まだ引っ越して来たばかりで手続きに手間取ってた時に
具合悪くなって病院受診したいからって同行お願いしたら
病院の窓口に、しきりに「この人お金ないから!市に言われても市は一切知りませんから」なんて受診拒否の要因作ってくれたり

とにかく人としても、どうなの?って言う女性支援員で

私が精神的に追い込まれて泣きながら上司に訴えたことがあったのね。

このままだと本当に変なこと考えそうだと

そしたら上司は私の受け止め方が悪い
そんな苦情今まで受けたこともないって言って
取り合ってくれなかったの

それでも、その後に私に支援者やヘルパーが付いたことで
2人からは自然に距離を置けるようになって安心してた

もう関わらなくていいんだって
人が家に来る度に悪いこともしてないのにビクビクしてました

何しろ私が寝込んでても、お構いなしに子供に起こして来てよ
って頼むような人だったから。
それでフラフラの私見て
「やっぱり施設いれない?」って聞いて来る
本当に今思うと嫌がらせの域だったと思う。

支援員には強制的に子供達を施設に入れる権限もある
そう脅しとも取れる言葉も吐いて来た。

私は障害者ってだけで何故ここまで否定され責められなければ
いけないのか分からなかった

好きで障害者になった訳でも、なる訳でもない
中途で負ったから子供達には申し訳ない、不甲斐なさで
いっぱいでいるのに、それを第三者にとやかく責め立てられるのも
違うと思う

でも、それが支援員にも上司にも分かってもらえなかった

そのことが、いつまでも尾を引くだ何て思いもしない
ましてや公職者が私情を挟むような形で児童相談所に通報します?

聞けば保育所に定期的に上司が来てたそう
それで昨日、息子の頬に擦り傷があったのを見つけて虐待だ!と
決め付けて通報したらしい

真に受けた相談所も相談所なら許した保育所保育所

この自治体自体どうにかしてるって思った。

んで家に相談所の職員が来て子供に怪我させないように!!って
この時点で意味不明

子供だったら何かしらの怪我はするものじゃないの?

軟禁しとけと?

それも息子の頬の傷は私が庇った時に付いてしまった掠り傷
子供を庇わなかったら骨折とかしてたかもしれないのに
骨折させてた方が良かったと言うのか

話しを聞いてたら、こじつけにしか思えなくて呆れた

しかも保育所で散々怪我して帰って来てるのに
咎めるなら、そっちを咎めろよとさえ思った。

公職者だから何しても許されるのか
支援員の問題に関しても市にクレーム言うしかなく
結局、もみ消され

このまま言いなりになって子供達を手放すまで続くのかなと思ったら、げんなり

虐待するどころか四肢麻痺で自分の頭洗うのさえ難儀してる私
だから虐待出来る訳もなく色んな人間も家に出入りしてるから
堂々とはしてるつもり

でも精神的にも辛い病を抱えてるから、こう言うことされたら
メンタルにガツンと来る

人の言動一つで人を生かすことも殺せることも出来るのだと
公職者と言う立場としても一人の人としても
わきまえていてほしいけど権力を笠に着てる人には分からない話しなんだろうな。

頼むから、そっと見守っていてほしい

障害児産んだら人生終わった。だって害だもの。

「障害児産んだら人生終わったから、日本死ねっつーか死にたい」http://anond.hatelabo.jp/20160229202916

このブログにしても保育園問題のブログにしても思うんだけど皆、日本に対して過信し過ぎだって思う。

日本なんて国は昔からクソだよ。

じゃなきゃ人に害なんて名付けないし、最近やっと平仮名に直すようにって言われるようになったけど平仮名でも漢字でも意味合いは変わってない。

昔は障害児が産まれたら殺すか捨てるか軟禁するか、だった。
忌むべき者として扱われて来た歴史があって、だからこそ出生前診断なんて馬鹿げた検査が出て来たわけだし。

好きでハンデを背負って産まれて来る子供なんて1人もいない
誰が好き好んで親を苦しめるために産まれてくる?
そんな仇なそうと考えて産まれてくるって逆に凄いし研究するべきじゃない?

ハンデを背負って産まれて来た子供が大きくなって親に何て言うか知ってる?
「お母さん産まれて来て、ごめんね」って言うんだよ。
誰も責めてないのに馬鹿共が母親を追い詰めてる姿を見て子供ながらに、そう感じるんだよ。

いいんだよ、命あるだけ。
抱きしめれなかった、触れられなかった温もりに比べたら(比べちゃいけないけど)ハンデなんて些末なこと。

私も障害児の親で、しかも母子家庭だし、変な話し息子は中途半端な障害児で障害児って判断されるギリギリラインだから公的支援ほぼ0で正直なんど死んでやろうって思ったかなんて分からないし自傷に走ってたこともある。

でもさ、どんな時でも息子は私の味方だし私も息子の味方。

息子が何かあるたんびに吐いて私に申し訳ないってこぼす度に親子で気が済むまで泣くさ
嘆くしかないから!

けど、そうやって泣いて泣きまくった後に息子はふふふって笑うの。
その時の言葉に出来ない思いは本当に崖っぷちに立たされてる人間にしか分からない。

私は自閉症の疑い有りってだけで親に捨てられた。
自閉症じゃないって分かった後、親は一応は私を引き取ったけど育てる気はなくって私はいらない物だった。

だから私は施設や精神病院に息子を入れることは最終手段でしかないと思ってる。

そもそも公的支援が充実していたら、そんなものは不要だし追い詰めるやつがいなければ親も子供も追い詰められない。

健常者を産めば、よくやった!と誉められ
障害児を産めば、罵倒される

五体満足でなければ許さない、出産は安全なもの

この根拠のない自信すげーって思う。

五体満足で産まれても生きてたらハンデを負う確率は0じゃない。

なのに五体満足を望む

誰かの手を借りることが、誰かに助けてもらうことが、そんなに悪なのか?
自分の背負ってる荷を分け合いたいと思うことが、そんなにいけないことなのか?

健常者だって他人様に迷惑掛けることあるよね?
お互い様、じゃないの?

ハンデ者が悪で、健常者は善って考え方が私は未だに理解出来ないし理解したいとも思わない、思えない。

懸命に生きてる者は、むしろ賞賛されるべきじゃないの?

健常者が当たり前に望むことをハンデがある者が望めば高望みだなんだと言われる。

綺麗な物を見て綺麗と思うことも
美味しい物を食べて美味しいと思うことも
どの心も健常者と何一つ変わらない

生きてる、んだよ。
みんな懸命に生きてる。

それを、つまらないことで差別しないでほしい。

保育園問題も急務だけど、もっと世の中に障害児が受け入れられるように、親が安心して働けるように、そして何よりも制度の狭間に落ちている、うちみたいな障害児の親を救ってほしい。

ハンデがあるからこそ、一律の保育でもなく一律の学校でもない施設を作ってほしい。
重度の子も軽度の子も同じ学校、一緒くた。
おかしいと思う。
先生は、どうしても重度の子に手が掛かるから軽度の子は比較的ほったらかしにされやすい。

だから息子みたいに対人恐怖があると集団生活は望めない。

学校や園に預けれないと就職は絶望的。
母子家庭にとって働けないことは正に死を意味する。
例え家で見れる環境でも24H一緒にいたら幾ら親子でも限界はある。

もっと、本当に「お荷物」って考えじゃなく社会全体で育てよう!ってぐらいの気持ちで支援拡大してよ!

このままじゃ少子化止まらないし、バラ撒きする余裕あるなら福祉に充てろ!

これ以上、被害者が増えて救われない人間増えたら日本おしまいだよ。

もっと、みんなも声あげようよ!
自分の体験談でも何でもアイスバケツのようにブログリレーするべき!

フローレンスの駒崎さんも子育て世代の悩みは一過性だから問題視されないと言っていた。
だからこそ声をあげるべきだと。

そう言う意味では保育園問題のブログを書いてくれた人が突破口を開いてくれたと私は感じてる。
今この注目されてる時に、時だからこそガンガン言いたいこと書こうよ!

嘆くことは簡単だけど、難しくても子供と笑っていられる未来を得るために私は立ち上がりたい!